日本創生が始まった霧島連山の中にある古事記由来の神社です
第10代崇神天皇の御代にご創建されたと伝えられています。鹿児島県の霧島神宮が「西霧島宮」と言われたのに対し、「東霧島宮」と呼ばれ繁栄しました。
高千穂峰山頂を飛地境内とし、山頂の「天逆鉾」は霧島東神社の社宝として祀られております。
氏子だけで行われる祭祀として、12月第2土曜日の祓川神楽がございます。
天逆鉾(あめのさかほこ、あまのさかほこ)とは 霧島連山の主峰、高千穂峰の頂上に有り、霧島東神社の社宝です。また山頂には霧島東神社の飛び地境内です。 天逆鉾は江戸時代の文献に出ており、それ以前から有ったと思われますが、伝承では、瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)がご降臨の際お使いになられた鉾を、高千穂峰の山頂に逆さに立てたものであると伝えられています。 この辺りは霧が発生しやすく、山々の頂きが雲海の中に浮かぶ島のように見えることから「霧島」という名が付いたとも言われ、古事記や日本書紀の国生みのお話の中の混沌の中から島々を生んだ情景を感じさせます。 |